古典尺八について

尺八とは何か

真竹を使った縦笛で、いわゆる日本の伝統文化として確立されたのは江戸時代です。虚無僧と呼ばれる人々が仏教の修行として吹いていたため、尺八を演奏する事を「吹禅(すいぜん)」とも称します。この虚無僧が修行として吹いていた曲は「古典本曲」として現代に伝わっています。

尺八と瞑想

尺八を吹く事が、なぜ仏教の修行として機能するのか?当然疑問に思われるでしょう。私もそうでした。

調べてみるとわかったのですが、仏教の創始者である釈迦が説いた修行法とは呼吸を使った瞑想でした(原始仏教)。この瞑想によって、感情や物事には実体がなく、実体のないものに執着するのは無意味であることに気づくことで、苦しみから解脱し悟りを開く、ということのようです。

尺八の演奏は慣れてくると吹くというよりも、呼吸というべきものになっていきます。演奏者はその呼吸一つ一つに集中し、なお且つリラックスした状態に身を置くのですが、それは仏教が説く瞑想と驚くほど合致します。

大乗仏教しかなかったと言っても過言ではなかった当時の日本で、虚無僧が原始仏教のことを知っていたとは考えにくいのですが、偶然なのか、元々の釈迦の教えと同じ瞑想を虚無僧が行っていたことは、とても面白いと思います。

地無し尺八と地あり尺八

実は尺八には元々の江戸時代から続くものと、明治になって西洋化されたものとの二種類があります。

現在主流の尺八は、実は明治以降にできた西洋近代化された尺八です。この明治以降の尺八は、竹の中を漆と砥粉を使って平らにします。これを「地を入れる」と言い、そのため「地あり尺八」と呼ばれます。地を入れることで、西洋音階に調律でき、中の凹凸も無くなるので音量も大きく均一になり、音程もとりやすく、楽器としての機能を向上させています。

江戸時代から続く尺八は、この「地」を入れません。そのため「地無し尺八」と呼ばれています。竹の中の節の凹凸が残ったままなので、吹き手は竹に合わせて吹き方を変えなくてはなりません。そのため演奏は難しくなりますが、むしろその「竹に合わせる」つまり「自然に合わせる」というアプローチこそが重要な点です。

現代的な音楽の基準で尺八を作ろうとすると、自然物なのでうまくいかない竹が出てきます。まず真っ直ぐ伸びていない竹は論外ですし、それでもうまくいかない竹はダメな竹として捨てられてしまいます。一方の地無し尺八では基準がそれぞれの竹なので、むしろ面白い形の竹はどんな音がなるのかと楽しくなりますし、高音が安定しない竹があったら無理に高音を出そうとせず、その竹が良く鳴るところを楽しめばいいという考え方なので、人間でいうところの「落ちこぼれ」が出ません。

また地無し尺八の音は小さいので、必然的に周囲の音も耳に入ってきます。つまり周りの環境も尺八の一部ですし、同時に尺八も環境の一部となります。世界は自分だけで成立するものではなく、またそれがどれだけ壊れやすいものなのかも、はっきりと体感できます。自我(エゴ)はだんだんと消えていき、有り難さへの感謝、慈悲心が立ち上ってきます。このような音楽は世界的に見ても相当珍しいと思いますし、もしかしたら地無し尺八だけかもしれません。

現代の尺八を使っても、そういう気持ちで吹けば問題ないかもしれません。しかしやはり道具には向き不向きがあって、例えばヘビーメタルを弾きたいならアコースティックギターよりもエレキギターを使う方がいいのと同じで、昔ながらの尺八をやりたい場合は地無し尺八のほうが向いていますし、J POPなどで尺八を使いたい場合は地あり尺八のほうが向いているでしょう。

尺八の地無しと地ありの話になると、どちらが正しい、間違っているという話になりがちですが、単純に目的が違うだけの話なので、狭い世界でいがみ合うのは避けたいところです。

ちなみに和楽器の堅苦しいイメージの一因となっている流派についても、現在のピラミッド型の流派の形は明治になってからで、元々は地方ごとの違いといった程度のものだったようです。

現代と尺八

難しい話は抜きにしても、尺八を吹くという、気持ちを落ち着かせる時間、自分と向き合う時間が1日の中にある、というのは単純に良いことだと思います。竹に息を吹き込んで音が出る感覚は、竹との一体感もあり本当に楽しく気持ちが良いものです。人の良い演奏を聴いても心が安まります。年齢に関係なくできるのも魅力です。

音楽的にも、古典本曲はジャズや前衛音楽等にも通じるものがあり、伝統という言葉から連想される古臭いイメージとはむしろ真逆です。一度完全に忘れ去ったものに出会ったとき、それは古いものではなく、むしろ全く新しいものとして目の前に現れるでしょう。

伝統文化はその国、そしてそこに住む人のアイデンティティにも深く関わっています。「落ちこぼれを出さない」、「人間が自然にあわせる」といった価値観を持った地無し尺八が、日本の伝統文化として広く認知されているならば、日本人の生き方や社会の在り方もかなり変わってくると思いますし、そうなると日本だけでなく世界も少し変わってくるのではないかと思います。少なくともこの文化は無くしたくはない、後世に残すべき大切なものだと思っています。

ぜひたくさんの人に尺八の世界を知っていただきたいですし、特に地無し尺八は演奏者人口が少なく風前の灯火です。世界でも類を見ないこの日本の伝統文化を次世代に伝える人が増えて欲しいと切に願っています。

もしご興味を持たれた方は、演奏会や尺八教室にいらしてください。お問い合わせお待ちしております。

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